根室市(ねむろし):31,186人(△5.9%) |
北海道の最東端にあたる市で、北海道根室支庁の所在地。東西に70km、南北に10km、東西に細長く太平洋に突き出た根室半島の全域と半島の付け根辺り、そして北方領土の歯舞諸島を市域としています。
低平な隆起海触台地で、山岳及び大きな河川はありません。市の中心部は透遠な高原の一部で街路は緩やかな坂道が多く北東に紅煙岬が突出しています。その西方海面に弁天島が横たわり、自然の港門となって根室港を形取っています。陸地はほとんど平坦で牧畜に適しています。半島の東端、納沙布岬は暗礁の多さと濃霧の深さが航海上の難所として知られ、納沙布灯台がその航行を導いています。
1869年 開拓使の松本判官が属僚とともに移住民130人を率いて来住し、開拓使役所を根室に置く。和田地区が根室開拓使役所の管轄となる。
1875年 根室町区画が完成し、町名を定める。
1880年 戸長役場が置かれる。
1886年 和田地区に屯田兵440戸が入地し、和田村を建設する。和田・落石・昆布の各村を管轄とする、和田村ほか二カ所戸長役場を設置する。(後の歯舞村)戸長役場を友知村に設置し、友知以下6カ村を区域とする。
1900年 一級町村制施行、根室町となる。和田村ほか二カ所戸長役場の管轄に、穂香・厚別・幌茂尻の各村を入れ、和田村ほか5カ村戸長役場と改める。
1901年 友知村戸長役場を歯舞村に移して、歯舞村ほか5カ村戸長役場とする。
1915年 歯舞村、二級町村制施行。
1957年 根室町と和田村が合併して、市制を施行し、根室市が誕生する。
1959年 歯舞村を合併。
1968年 開基100年記念事業を実施する。
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別海町(べつかいちょう):16,459人(△2.7人) |
北海道根室支庁管内の野付郡にある町。正しくは「べつかい」と読みますが、一般的には「べっかい」で通じます。町名の由来は、アイヌ語の「ベッ・カイェ」(川の折れ曲がっているところ)から。
別海、中春別、西春別、西春別駅前、上春別、上風連、本別海、尾岱沼等集落が点在しており、町役場は別海に位置しています。西部の地区は別海市街よりも標茶町市街の方が近いです。町の大半は原野を切り開いた丘陵地帯で、北海道的な牧場風景が広がります。東部は野付水道に接し、北方領土を望むことができます。
平野部では酪農、本別海・尾岱沼等の沿岸部では漁業(サケ、コマイ、ホッキ、アサリ、ホタテ、ホッカイエビなど)が盛ん。日本一の生乳生産量を誇り、年間生産量は43万t。野付半島・打瀬船が北海道遺産に登録されている。「四角い太陽」が望める町として有名で、野付湾に面した尾岱沼にある白鳥台が人気鑑賞ポイントになっています。
1879年(明治12) 四村戸長役場設置。
1906年(明治39) 和田村の一部を編入。
1923年(大正12) 別海村に改称。
1955年(昭和30) 中標津町に一部分割。
1971年(昭和46) 町制施行。
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中標津町(なかしべつちょう):23,792人(+2.6%) |
中標津町は、釧路市から北東に約100km、根室市から北西に約80kmに位置し、町域は東西約42km、南北約27kmに及びます。面積は684.98平方キロメートル。北部は千島火山帯につながる丘陵地で、南側に向かって緩やかに傾斜し、平坦な根釧原野が広がっています。
内陸性の気候で、夏の平均気温は20度前後、冬の平均気温は−10度前後、積雪は道内では少ない方です。町名の由来はアイヌ語の「シペッ」(大きな川)から標津に転じ、標津川の中流に位置するということで接頭語の「中」がつけられています。南部は丘陵が広がり、北部は山岳地帯で、市街地から北4kmの位置には中標津空港があります。
開拓期にホーレス・ケプロンの提唱で作られた防風林が別海町、標津町、標茶町に至る広域に存在しています。防風林は2001年に根釧台地の格子状防風林として北海道遺産に登録されました。
1879年(明治12) 標津村(現標津町)開基。標津郡戸長役場が設置される。
1901年(明治34) チライワタラ原野に植民区画を設定。中標津地区などに入植開始される。(開基)
1946年(昭和21) 標津村から分村し、中標津村が設置される。
1950年(昭和25) 町制施行、中標津町となる。
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標津町(しべつちょう):6,062人(△3.7%) |
標津町は北海道の最東端、根室支庁管内の中心部に位置しています。標津町を中心にちょうど両腕を出すように、左手に日本最後の秘境といわれる知床半島が、右手には納沙布岬を先端とする根室半島が延びています。正面はオホーツク海に面し、洋上わずか24km先には近くて遠い島、国後島がその大きな姿を見せています。
また、日本一の砂嘴(海岸から沖に出た砂の陸地)野付半島が本町を基部として延びているほか、背後に広大な牧場が広がる根釧原野を擁する風光明媚な地です。
町の面積は624.49kuで、そのうち森林面積が429.21kuと69%を占めています。地形は知床連山からオホーツク海に緩慢な傾斜をもって広がる原野で、中央部を標津川が悠々と流れています。(面積は東京都23区とほぼ同じ)
標津町の開基は、明治12年4月に標津外6ヶ村戸長役場が置かれたことに始まり、明治17年には野付郡茶志骨村を編入、同19年に根室支庁管轄となっています。明治34年には植別村(現在の羅臼町) が分離独立し、大正に入ってからは12年に戸長役場を標津村役場と改称していています。昭和に入り、6〜7年の大凶作、12年の国鉄標津線開通(平成元年4月29日廃止)20年の終戦を経て、戦後21年に中標津村が分村、33年に標津町となり現在に至っています。
農業は畜産がほとんどで、近隣の中標津町、別海町とともに酪農地帯を形成しています。他に甜菜の栽培、豊富な森林資源を背景に林業も行われています。
漁業は古くから盛んで、早くからサケ・マス、ホタテ等の増殖事業に取り組み、サケ・マスの年漁獲量は、約17,000t(約530万尾)。ホタテガイの漁獲も多いです。シベツの語源はアイヌ語で「サケのいるところ、大川、または本流」の意味です。秋サケの水揚げは日本一を誇るまでになっています。
1879年(明治12) 4月に戸長役場を標津に設け(標津町の開基)、標津と伊茶仁の2ケ村を統治し、6月には標津郡戸長役場となる。
1880年(明治13) 標津・目梨両郡戸長役場となり、管轄を標津、伊茶仁、薫別、崎無異、忠類、植別の6ケ村とする。
1884年(明治17) 野付郡茶志骨村を編入し、標津外6ケ村戸長役場となる。
1901年(明治34) 植別村が植別村戸長役場(現在の羅臼町)として分離する。
1923年(大正12) 二級町村制が施行され、標津外5ケ村戸長役場を標津村役場に改称する。
1937年(昭和12) 国鉄標津線が根室標津駅まで延伸。
1946年(昭和21) 中標津村(現中標津町)が分村。
1958年(昭和33) 町制施行、標津町となる。
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羅臼町(らうすちょう):6,536人(△6.0%) |

北海道東端部、知床半島の南東半を占め、根室海峡に面しています。町域は南西〜北東方向に約64kmと細長く、北に連なる知床連山が海まで迫り海食崖を形成しています。知床連山に源を発した多くの河川が海に流れ込み、河口部を中心に海岸沿いに集落があります。中心市街は羅臼川河口部、羅臼港の周辺にあります。
主要道路は南の標津町から海岸沿いに伸びる国道335号(国後道路)、知床峠(740m)を越えて斜里町へと抜ける国道334号(知床横断道)の2本。険しい地形が多く、道路には多くのトンネルを有しています。中標津町の中標津空港から北東約70km、釧路市から北東約120kmに位置。町名の由来は、アイヌ語の「ラウシ」(獣の骨のあるところ)から。漁業従事世帯が総世帯の3分の1を占める漁業の町で、スケソウダラ、コンブ、サケ、イカ、ウニなどが獲れるほか、羅臼コンブは有名です。
1901年(明治34) 標津外6ケ村戸長役場(現在の標津町)から分離・独立し、植別村戸長役場が設置される。
1923年(大正12) 二級町村制施行。
1930年(昭和5) 羅臼村に改称。
1961年(昭和36) 町制施行、羅臼町となる。
2006年(平成17) 斜里町とともに世界自然遺産に登録される。
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