旭川市(あさひかわし):354,988人(△1.3%) |
北海道のほぼ中央にある上川盆地に位置しています。内陸特有の気候で、夏は緯度の割に暑く、冬は寒さが厳しく1902年1月25日には日本の気象官署での観測史上最低気温-41.0度を記録しました。
石狩川、忠別川、美瑛川、牛朱別川など大小130の河川が流れ、740あまりの橋が架かっています。石狩川と牛朱別川の交わるところに1932年完成した鉄製アーチ橋の旭橋は、北海道遺産にも選定され「川のまち」旭川の象徴として市民に愛されています。行動展示で大人気の旭山動物園、旭川ラーメンも全国的に有名です。
「旭川」という地名は開村の告示で村名として登場したのが最初です。地名の由来については、忠別川のアイヌ語で「チュプ・ペッ」を語源にしている説がよく知られています。「チュプ」は日、「ペッ」は川の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳して名付けたと言われていますが、諸説があって定かではありません。
明治23年9月20日に上川郡に初めて旭川村、永山村、神居村の3村が置かれ、明治24年から開発の尖兵として屯田兵が入植、旭川は上川の中心として開拓が進めらました。
明治31年には鉄道が開通、明治33年には旭川村から旭川町に改称され、札幌から第7師団が移駐するなど、産業・経済の基盤が成立し、道北の要としての使命を担っていきます。大正11年8月市制施行、昭和30年から近隣町村との合併が進み、昭和45年に人口30万人、昭和58年には人口36万人を超え、北海道では札幌に次ぐ第2の都市となります。平成12年に中核市に指定され、東北・北海道では札幌・仙台につぐ人口です。
1890年 石狩国上川郡に旭川・永山・神居の3村が置かれる。
1900年 旭川村が旭川町に改称される。
1902年 国内観測史上最低気温(摂氏氷点下41.0度)を記録。
1914年 区制施行。
1922年 市制施行。
1955年 神居村・江丹別村と合併。
1960年 旭川冬まつりの第1回開催。
1961年 永山町と合併。
1963年 東旭川町と合併。
1966年 旭川空港が開港。
1967年 旭川市旭山動物園が開園。
1968年 神楽町と合併。
1971年 東鷹栖町と合併。
1972年 日本初の恒久歩行者天国である平和通買物公園がオープン。
1984年 旭川スタルヒン球場がオープン。
2000年 4月、中核市としての指定を受ける。
2004年 旭川市旭山動物園の月間入園者数が日本一を記録する(7、8月)。
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名寄市(なよろし):31,624人(△5.1%) |
市名の由来はアイヌ語の「ナイオロプト」(渓流に注ぐ口)。名寄川が天塩川に注ぐ様子をいったもの。冬場は冷え込みが厳しく、-20℃を下回ることも少なくありません。空気中の水蒸気が凍って出来るダイヤモンドダストに太陽光が反射して光の柱のように見えるサンピラー(太陽柱)現象が市の名物にもなっています。上川支庁北部の中心都市で基幹産業は農業。コメのほかアスパラガスやカボチャの生産が盛んです。
天塩川が形成する名寄盆地のほぼ中央に位置し、東西には北見山地と天塩山地が連なっています。東は、雄武町・下川町、西は幌加内町、南は士別市、北は美深町と境界を接しています。主な山岳には市北東部にピヤシリ山(987m)があり、一級河川には士別市、市内を経て天塩町へ続く天塩川が流れています。内陸部特有の寒暖の差が激しく、その温度差は60℃にも及びます。夏季は昼夜の寒暖差が激しく、冬季は寒気が厳しく、降雪量も多い気象条件を有しています。
平成18年3月27日、旧風連町は、名寄市との合併により風連町(特例区)となりました。“旧風連町”は東に北見山地、西に天塩山地を望む名寄盆地の中心にありました。行政上は北海道上川支庁管内の北部にあり、南は士別市・朝日町、北は旧名寄市、東は下川町、西は空知管内雨竜郡幌加内町に接し、広さは220.61km。天塩川の本流と東を流れるフーレベツ川との間に形成された平原に肥沃な美田が展開していました。明治30年、風連の地名は増毛支庁天塩村戸長役場のもと多寄村とされました。
明治31年、それまでは、アイヌの人たちが丸木船で天塩川を行き来するだけの人跡未踏の地に、山梨県人と伝えられる3人の男が足を踏み入れ、天塩川のほとり32線付近に茅屋(ぼうおく)を建て、付近の開墾を始めました。この人々が多寄村開拓の先駆けとされています。
明治32年、多寄村は上川支庁の所管となり、剣淵、士別、多寄、上名寄を合わせた剣淵外3カ村戸長役場が剣淵村に置かれました。この春、道庁技師の一行によって、タヨロマ・フーレベツ南榎野植民地の区画測量が行われ、測量隊の一員、清水長次郎が測量後も残り、渡舟業を営み20線付近に笹小屋を建て定住しました。この年が風連町の開基とされました。翌33年、タヨロマ原野の区画地の貸し付けが始まると、本州府県からの開拓移民が個人や団体で入植し、本格的な開墾が始まりました。
1900年 山形県東栄村(旧藤島町、現鶴岡市)から開拓団が集団移住。
1902年 上名寄、多寄、下多寄の各村が剣淵戸長役場(現在の剣淵町)から分離し、戸長役場を上名寄に設置。
1903年 旭川からの鉄道(現在の宗谷本線)が開通。
1907年 下名寄外一村戸長役場(現在の美深町)を分離。
1909年 二級町村制が施行され上名寄村が誕生。
1915年 一級町村制施行と同時に名寄町に改称。
1920年 智恵文村が下名寄村(現在の美深町)から分村。
1924年 下川村(現在の下川町)を分村。
1954年 智恵文村を合併。
1956年 市制施行。
2000年 名寄市開拓100年記念式典を行う。
2006年3月27日 風連町と合併し(新)名寄市発足。
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大雪山国立公園の一部である十勝岳連峰と、芦別岳などの夕張山地に挟まれた富良野盆地に位置します。東方に大雪山系十勝岳、西方に夕張山系芦別岳がそびえ、南方には千古の謎を秘めた天然林の大樹海(東京大学演習林)があり、市域の約7割が山林という恵まれた自然条件にあります。
北海道のちょうど中央に位置し、「へその町」としても知られています。布部川上流の麓郷の森はドラマ『北の国から』の舞台としても有名です。ラベンダーやスキーなど観光産業が有名ですが、基幹産業は農業でタマネギ・ニンジンなどの生産が盛んです。特にニンジンの生産量は日本一。ブドウの栽培も行っており、市営のワイン工場があります。またふらの牛乳やチーズなどの乳製品の生産も注目を浴びています。
北海道の内陸部で大雪山系と夕張山系に囲まれた地形のため、気温の日較差や年較差が大きいのが特徴です。市名はアイヌ語の「フラーヌイ」(におう炎)に由来。十勝岳の噴気にちなんだと言われています。
富良野市の開拓は、明治29年(1896年) 富良野原野殖民地区画の設定が行われ、翌30年(1897年) 福岡県出身の中村千幹氏らが現在の扇山地区に入植したことから始まります。明治30年当時は、富良野村の人口が稀少のため歌志内村に戸長役場が置かれ、同32年(1899年)
には富良野村戸長役場が現在の上富良野町に開庁しました。明治33年(1900年) 8月の旭川・下富良野間の鉄道の開通により入植戸数が増加し、明治36年(1903年)
7月富良野村を南北に分割し、富良野村を上富良野村と改称、新たに下富良野村戸長役場が現在の富良野市街に設置されました。
その後、明治41年(1908年) 4月に南富良野村を分村、さらに大正4年(1915年) 4月に山部村を分村しましたが、同8年(1919年)
4月町制を施行し富良野町となりました。また、昭和15年(1940年)4月山部村から東山村が分村しましたが、昭和31年(1956年) 9月町村合併促進法の適用を受け東山村と合併し新富良野町が誕生し、10年後の昭和41年(1966年)
5月には山部町(昭和40年1月町制施行)と合併し道内29番目の都市として富良野市が誕生しました。
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士別市(しべつし):23,408人(△6.3%) |
士別市は、北海道上川支庁管内にある市。市名はアイヌ語の「シュペツ」(大いなる川)に由来します。
1899年に、屯田兵制度最後となる兵村がおかれ、約100戸が入植します。1902年、士別村に二級町村制が施行され、1915年に町制施行、1954年に
士別町、上士別村、多寄村、温根別村が併合し、士別市が誕生します。
農業の集散地として発展を遂げ、士別駅付近には多数のレンガ造りの農業倉庫があり、現在でも使用されている。大正時代には澱粉製造、昭和初期には製糖が盛んでした。近年は「サフォークランド士別」をキャッチフレーズに羊の牧畜に力を入れており、郊外の観光施設「羊と雲の丘」「めん羊牧場」では、サフォーク種を中心に約30種類のめん羊が飼育されています。
また、トヨタ自動車をはじめとする自動車・タイヤメーカーの試験場がつくられ、冬の厳しい寒さを利用した寒冷地試験が行われています。2005年9月、士別市と朝日町が合併しています。
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北海道のほぼ中央、上川エリアの中心部に位置し、北海道第二の都市旭川市の北側に隣接しています。周りを小高い山に囲まれ、全体的には盆地状をなし、中心部を石狩川に注ぐオサラッペ川が北から南へ貫流しています。
かつてこの地にはトンビをはじめ、ハイタカやオオタカなどの大きな鳥が生息し、大空に輪を描いて舞っていたと言われ、その光景を目の当たりにした人らが「大きな鳥(鷹)の棲むところ(巣)」を意味するアイヌ語「チカップニ」と呼ぶようになったと伝えられます。町名の鷹栖はそれが意訳されたものです。
品質・収穫量 とも道内屈指の稲作、付加価値の高いきゅうりの生産など、良品質な農産物の供給地帯であり、トマトジュース「オオカミの桃」でも知られています。旭川鷹栖インター、旭川北インターの開通で札幌圏へのアクセスも容易になったことから、現在は企業誘致による農・商・工一体となった地域複合産業の形成を目指しています。
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明治23年に上川管内初の町村である神居、旭川、永山の3村が置かれ、その後、上川原野の開発が進むにつれて移住者が増加し、明治25年に神楽村が誕生しました。
明治27年7月、神楽村の3地区の1つで当時忠別農区と称されていた東御料地の貸し下げが行われると、四国や広島、富山などからやってきた人々によって原始林の開拓が始まりました。現在の東神楽町は、旭川市に隣接する面積64.68Ku、人口約9,300人。町を含む上川盆地一帯は北海道の米の主産地として道内外に知られ、米や野菜を中心とした農業が盛んです。平成元年から始まった大規模宅地開発により、平成2年に約5,700人だった本町の人口が平成12年5月に8,000人を超え、年々増加しています。
また、町内には道北の空の玄関である旭川空港があり、インフラ整備も着実に進んでいます。このほかにも、東神楽町は「花のまち」として全国的に知られ、平成12年の全国花のまちづくりコンクールでは最優秀賞の建設大臣賞を受賞。平成13年にはカナダで開催された国際コンクールに参加するなど、花を生かした美しい環境整備に力を入れています。
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当麻町(とうまちょう):7,473人(△2.2%) |
旭川市から北東へ約15q、車で約30分の距離に位置しています。山と河川に囲まれ、南西部から北にかけては山林地帯を形成、自然の丘陵が起伏しながら大雪連峰に連なっています。町名は、アイヌ語の「ト」(湖沼)、「オマ」(に入る)、「ナイ」(川)に由来しています。
明治26年、この地に広島・山口などから400戸の屯田兵が入植、明治33年にはそれまでの永山村から分村し、当麻村と改称されました。昭和33年の町制施行から今日まで、基幹産業である農業を中心として今なお発展を続けています。東西は17.3km、南北は13.5kmに及び総面積は204.95kuです。
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比布町(ぴっぷちょう):4,340人(△5.2%) |

上川盆地の北西部にあり、町の南境を石狩川が流れています。町名はアイヌ語の「ピピ」あるいは「ピプ」(石の多いところあるいは沼の多いところ)に由来しています。
1895年に滋賀、香川、愛媛の各県から比布原野に入植。1906年に上川郡鷹栖村(現鷹栖町)から分村し、二級町村制、上川郡比布村に。1921年に一級町村制、1962年に町制施行されました。 入植団体の一つ、滋賀県湖南市(旧下田村)とは友好交流提携しています。
農業の中心は稲作ですが、野菜や果物への転作も進んでいます。
特産品であるイチゴの栽培は大正時代(1921年)に太田山付近ではじまりました。毎年、6月中旬から7月上旬にかけて、町内の農園ではイチゴ狩りが行われ、多くの家族連れなどで賑わいます。お土産にはイチゴを使ったジャムやせんべい、わいんなどもあります。また、開基100年を記念して、比布米を原料として醸造された地酒「必富美人」もさわやかな酔い心地で人気です。
町の中心に位置する全9コースの「ぴっぷスキー場」は、初心者から上級者まで楽しめます。また、隣接する宿泊施設「遊湯ぴっぷ」には、薬石・光明石をつかった有効ミネラル成分泉の温泉があり、スキーの疲れもじっくり癒すことができます。
比布駅は1980年に放映された「ピップエレキバン」のテレビコマーシャル(樹木希林と同社の横矢勲元会長共演)のロケーションに使用され、一躍その名が知られるようになりました。
2006年現在、比布駅から750mの距離にある分譲地「ふれあいタウンぴっぷ」が、好評分譲中。旭川市から車で30分という交通の便もよいため、第一次分譲地はほぼ完売しています。詳しくは、比布町役場総務企画課企画振興係(代表電話:0166-85-2111)まで。
(資料・写真提供:比布町役場)
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▲町内全景。水田が広がります

▲イチゴ狩りが楽しめます!

▲比布町のマスコット、スノーベリー |
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上川盆地の北東端、石狩川と愛別川の合流点に位置しています。町名はアイヌ語の「アイペット」(矢の川)に由来。土地の傾斜が急なため川の流れが矢のように速い、と解釈されています。
稲作が主産業ですが、1972年から始まったキノコ栽培も今では愛別町の農業の柱となっています。現在では全道生産量の4分の3を占めるまでとなり、「きのこの里」として知られています。町域の8割が山林で、林業や木工業も盛んです。
1895年 和歌山・岐阜・愛知から179戸が入植(愛別町の開基)
1897年 鷹栖村(現鷹栖町)から分村、上川郡愛別村に。
1906年 二級町村制。
1924年 上川郡上川村(現上川町)が分村。
1937年 一級町村制。
1961年 町制施行。
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北海道のやや東寄り中央部、上川エリアのほぼ中央部に位置する上川町は、大雪山国立公園の北方部を踏まえています。大雪山のうちの一つ黒岳への登山口には、北海道有数の温泉街である層雲峡温泉があります。大雪高原温泉の秋の紅葉は「日本一の紅葉」として知られ、紅葉時期には交通規制がなされるほど混雑します。各種観光産業も盛んで、「上川ラーメン」にも力を入れています。
中心となる産業はアンガス種という肉用牛の一種(別名は「大雪高原牛」)の飼育、酪農を中心とする畜産や畑作農業。また大雪山系の森林地帯での林業や、大雪山系から湧出する豊富で冷涼な湧き水を利用したニジマスなどの淡水魚の養殖も盛んです。特にニジマスの養殖は、近年まで年間の生産量・生産金額ともに道内一の地位を保ち続け、層雲峡温泉の宿泊施設での料理用や、甘露煮などの土産物の加工食品用などに生産されています。
町名は「ペニウングルコタン」(川上の人の村)に由来。1924年、川郡愛別村(現愛別町)から分村し、二級町村制、上川郡上川村に。1952年から町制施行。
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忠別川のアイヌ語名「チュプペツ」(日の出る川)が意訳され町名になっています。北海道最高峰の旭岳がその町域にあり、その登山口にあたる旭岳温泉街は、夏と紅葉の秋に大変賑わいます。クラフトの町として有名で、町内には木工製品の工房やお洒落な喫茶店が点在しています。
また、田園風景が美しく北海道で唯一「景観行政団体」に指定されており、優良田園住宅を多数造成することで大都市からの移住者を呼ぼうとする試みも行われています。大雪山麓にあって豊富な地下水を湧出するため、北海道内で唯一水道のない町として有名。写真による町おこしも行っており、毎年開催される「写真甲子園」には全国から多くの高校生が参加します。
1897年 上川郡旭川村(現旭川市)から分村、上川郡東川村。
1906年 二級町村制。
1919年 一級町村制。
1959年 町制施行。
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美瑛町(びえいちょう):11,626人(△2.3%) |

旭川市と富良野市とのほぼ中間に位置しています。美瑛は、アイヌ語の「ピイェ」より転訛したもので「油ぎった川、濁った川」という意味です。それを本町の開拓者が「ビエイ」と訛って呼んでいたものに「美しく、明朗で王者の如し」という意味の「美瑛」の漢字があてられ命名されました。
江戸時代の末期(安政4年)幕府役人がはじめて美瑛川を調査。
明治27年に別太(旭)に入植します。明治33年に神楽村から分村し、美瑛村となります。
美瑛町は、面積が東京23区の広さに匹敵し、その70%以上を山林が占めています。また、約15%を畑地が占め、これを中心に「丘のまち」の美しい景観を形成しています。
昭和40年前半まで2万人以上を数えた人口も、平成7年度の国勢調査では、およそ12,000人程度まで減少しています。
農業を基幹産業として位置付けていますが、近年「丘のまち びえい」の名とともに観光客の入り込み数が増加し、これに伴い関連する産業の活気が増しています。農業はじゃがいも・大麦・テンサイ・トウモロコシなどを中心とした畑作と、その野菜を加工する食品製造業が中心で、木材加工なども盛んです。白金温泉のほか、町内にはペンションなどの小規模な宿泊施設が点在しています。
(資料・写真提供:美瑛町役場)
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▲どこまでも続くパッチワークの丘

▲「哲学の木」。頭をたれているようにも、うつむいて思索に耽っているようにも。 |
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南富良野町(みなみふらのちょう):2,947人(△8.9%) |
南富良野町は、上川エリア南部に位置します。人造湖のかなやま湖では、釣りのほかカヌーやラフティングなどのアウトドアが体験できます。幾寅駅は映画『鉄道員(ぽっぽや)』のロケ地となり、今でも映画で使われた衣装や小道具などを展示しています。
1891年 砂金採取者が金山に入り、開基。
1899年 空知郡富良野村が空知支庁から上川支庁に移管。
1901年 伊勢団体、岐阜団体が移住。
1908年 下富良野村(現富良野市)戸長役場から分離、南富良野村外1ヶ村戸長役場を設置。
1919年 二級町村制施行、空知郡南富良野村となる。南富良野村、占冠村組合役場を設置。
1932年 南富良野村、占冠村組合役場を解き、独立。
1966年 金山ダム(かなやま湖)完成。
1967年 町制施行、南富良野町。
1999年 町内で映画『鉄道員 (ぽっぽや)』のロケが行われる。
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上富良野町(かみふらのちょう):12,352人(△3.6%) |
上川エリア南部に位置。西部は平野で畑などが広がり、国道237号、富良野線が南北に走り、人口も集中しています。東部は十勝岳を中心とする山岳地帯。眺望で有名な十勝岳温泉と、「北の国から」のロケで一躍有名になった吹上温泉を有します。十勝岳は数十年周期で噴火を繰り返す活発な火山。富良野地方で初めて開拓の手が入ったのがここ上富良野(当時の名称は富良野村)です。
1897年 三重県から入植、富良野村が設置、歌志内村外一箇村戸長役場が歌志内(現歌志内市)に置かれる。
1899年 空知支庁から上川支庁に移管、富良野村戸長役場を設置、空知郡富良野村。
1903年 富良野村を分割、空知郡上富良野村となる。片方は下富良野村(現富良野市)となる。
1906年 二級町村制。
1917年 中富良野村(現中富良野町)を分村。
1919年 一級町村制。
1926年 十勝岳が大噴火を起こし、死者・不明者計144名を出す。
1951年 町制施行、空知郡上富良野町。
1962年 十勝岳大噴火、死者・不明者4名を出す。
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中富良野町(なかふらのちょう):5,707人(△2.2%) |
中富良野町は、上川エリア南部に位置する町。富良野地区を代表するラベンダー園、ファーム富田はここ中富良野町にあります。
1917年 上富良野村(現上富良野町)から分村、空知郡中富良野村。
1923年 一級町村制。
1964年 町制施行、中富良野町。
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占冠村(しむかっぷむら):1,819人(△2.9%) |
上川エリア南部最南端に位置しています。四方を山に囲まれていて、村面積の94%は森林です。 1981年に村を東西に横断する石勝線が開通、占冠駅、トマム駅(旧石勝高原駅)二駅に特急が停車するようになり、鉄道交通の利便性の良さからトマムはリゾート地として開発されていきます。
1919年 二級町村制を施行し、南富良野村 ・占冠村組合役場を設置する。
1932年 南富良野村 ・占冠村組合役場を解く。
1981年 石勝線開通。
1989年 総合保養地域整備法(リゾート法)による重点整備地区に指定される(道内初)。
1998年 アルファリゾートトマムの施設の4割を運営するアルファ・コーポレーション(札幌市)が自己破産、負債額は1061億円、これにより同社運営の施設が休業。残り6割は営業を続けたが、客足は落ち込む。
1998年12月 加森観光(札幌市)が占冠村に5億円を寄付。寄付金で村が施設を買い取り、加森観光に無料貸与、営業を再開。
2003年6月 アルファリゾートトマムの残り6割を所有する関兵精麦(仙台市)が民事再生法を適用。
2004年4月 関兵精麦から星野リゾート(長野県軽井沢町)が施設を買収。
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和寒町(わっさむちょう):4,238人(△10.0%) |
和寒はアイヌ語の「ワットサム」から転訛したもので「ニレの木の傍ら」の意味です。昔は「輪寒」「和参」とも書かれていました。この地に、ニレの木が繁茂していたところから名づけられたものです。和寒町は北海道の中央よりやや北部に位置し旭川市から北へ36kmの距離にあります。比較的低い山岳に囲まれた丘陵地と中央部の平坦地からなる穀倉地帯で、総面積224.83平方km、人口約4,500人の町です。
盆地特有の気候は、夏と冬では実に70度を超える驚異の温度差がありますが、かぼちゃやキャベツ、アスパラなどの野菜やきのこの生産が盛んです。町西部の丘陵地帯の風景は、美しい景観となっています。作付面積日本一を誇るカボチャのほか、キャベツを収穫せずそのまま雪の下で保存する「越冬キャベツ」発祥の町でもあります。
1898年 鉄道が和寒まで開通。
1915年 剣淵村(現在の剣淵町)から分立し和寒村が誕生。
1952年 町制施行。
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剣淵町(けんぶちちょう):3,952人(△5.0%) |
北海道の中央部上川エリアの中央よりやや北に位置しており、南はパンケペオッペ川および6線川で和寒町と、東西は南北に縦走する小山脈、北は犬牛別川で士別市と境をなしています。
名寄盆地に属し、中央部を天塩川の支流剣淵川が流れ、その流域は農業に適した平地であり、東と西の両側は丘陵地帯となっています。町内北部の犬牛別付近からは、しじみやはまぐりの化石が発見され、古代には湖であったことが推測されます。
ハンノキの多い川という意味のアイヌ語「ケネペツ」が名前の由来とされます。
明治30年天塩国上川郡に剣淵村・士別村・多寄村・上名寄村が設置されたのに始まり、明治32年に屯田兵337戸が入地し、戸長役場が剣淵に置かれました。その後、明治39年に2級町村制が施行され、自治体として歩みだしました。大正4年4月に現在の和寒町を、また、昭和2年10月に現在の士別市温根別町を分村し、昭和37年1月1日に町制を施行して現在に至っています。
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下川町(しもかわちょう):4,146人(△6.1%) |

町名はアイヌ語の「川の下流(パンケヌカナン)」に由来します。かつては鉱山で栄え、多いときには1万5000人の人口を抱えましたが、閉山とともに人口は減少しています。現在は、林業・農業が基幹産業で、地元特産のトマトジュース用のトマト、野菜、米、手延べそうめん・うどんなどが特産です。
またスキージャンプが有名でオリンピック選手を多数輩出しており、岡部孝信さん、葛西紀明さんが町民栄誉賞を受賞しています。
1900年 山形県東栄村(現鶴岡市)から開拓団が集団移住。
1902年 上名寄、多寄、下多寄の各村が剣淵戸長役場(現剣淵町)から分離し、戸長役場を上名寄に設置。
1924年 上川郡名寄町(現名寄市)から分村、上川郡下川村となる。
1949年 町制施行。
1989年 名寄本線廃止。名士バスによる代替路線となる。
2000年 開基100年、町制施行50年。
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上川エリア北部に位置します。 町内を南北にかけて天塩川が流れ、国道40号、宗谷本線が走っています。町面積のほとんどは森林で、西の天塩山地、東の北見山地に囲まれています。町名はアイヌ語「ピウカ」(石の多い場所)に由来しています。
1901年 下名寄村、増毛支庁(現留萌支庁)から上川支庁に移管。
1907年 上名寄外2村戸長役場(現名寄市)から分離・独立し、下名寄外1村戸長役場を美深5線に設置する。
1911年 現宗谷本線が恩根内まで延伸。
1915年 二級町村制、下名寄村。
1920年 中川郡智恵文村(現名寄市の一部)を分村、美深町に改称。
1923年 一級町村制、町制施行、美深町。
1964年 国鉄美幸線開業。
1985年 美幸線廃止。
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音威子府村(おといねっぷむら):1,070人(△19.8%) |
音威子府村は、上川エリア北部に位置する森と匠の村。2005年8月現在、北海道内で最も人口の少ない自治体。村名の由来はアイヌ語「オトイネプ」(河口の汚れているところ)から。
1857年に松浦武四郎が天塩川流域を訪れ、現在の音威子府村筬島付近でアイヌの長老の元に宿泊、そこでアイヌによる北海道(蝦夷地)の通称「カイナー」の意味を知ります。(「カイ」はこの国に生まれた者、「ナー」は尊称)アイヌと深い交流のあった松浦武四郎は、蝦夷地を命名する際に「アイヌの国」を意味する「カイ」を取り入れ「北加伊道」という名を提案、これがのちの「北海道」となりました。
開拓後は宗谷本線と天北線(現在廃止)が分岐する鉄道の町として発達しました。最盛期は、人口5000人のうち3割を国鉄関係者とその家族が占めていたと言います。その後天北線の廃止・駅員の大幅削減などにより人口が激減しました。
またかつてアイヌの彫刻家、砂澤ビッキが在住し、現在の村の工芸の発展に大きく寄与しました。村内には道内で唯一工芸科を持つ「おといねっぷ美術工芸高等学校」が置かれ、全国から生徒が集まっています。音威子府駅にある立食いそばは、真っ黒い麺をしていて独特です。
1916年 中川郡中川村(現中川町)から分村、中川郡常盤村。
1963年 音威子府村に改称。
1989年 天北線廃止。
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中川町は北海道の北部に位置し、東に北見山地、西に天塩山地が走り、両山地の中央を流れる天塩川とこれに合流する安平志内川流域に沿って南北に細長く拓けています。地形は山岳地と平野地に大別され、平野地は一部の泥炭地を除き、肥沃で農耕に適しています。気候は、春は雨が少なく秋に多くなります。また寒さが厳しく積雪も多いのが特徴です。
中川町の基幹産業は農林業で小豆・ビート・白菜・じゃがいも・かぼちゃ栽培のほか乳用牛・肉用牛・養豚も盛んです。農家戸数は年々減少していますが、近年、建設業からの農業参入があり期待されています。
1906年(明治39)「中川村」の名称誕生(現音威子府村を含む)。
1907年(明治40)下名寄村戸長役場(現美深町に設置)の管轄となる。
1916年(大正5) 常盤村分村。
1919年(大正8) 二級町村制施行、村名を中川村とした。
1964年(昭和39)町制施行。
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