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▼生活の原点を求めて−牧場を核に地域規模での自給自足を目指す

  小峰博之さん
  下川エミュー研究会/遊牧村村長/コミ小峰出版代表 [下川町]


  
下川町の中心部から国道239号線を東へ向かうと名寄川を跨ぐ三の橋を通過する。この三の橋を過ぎるとめっきり人家は少なくなり、続く二の橋を越えると、グンと道と森との距離が縮まる。しばらく進むと道の左右に家がポツリポツリと現れる。
ここが下川町の最も東の集落「一の橋」である。

「一の」橋。
この場所が下川の中心だったことをうかがわせる地名だ。

1923年の関東大震災の時には、大量の木材がここ一の橋から復興材として移出され、その後、北海道で初めて森林鉄道が敷かれた。
しかし、時は流れ地域は衰退。
1960年の2058人をピークに人口は減少を続け、2002年3月には集落唯一の小学校、一の橋小学校が閉校となった。
2006年7月31日現在、一の橋の人口は142人である。

たしかに、グルリと地区内をまわってもほとんど人の気配が感じられず、静か−である。

今回、その一の橋に根付き地域の再生に取り組んでいる小峰博之さんを訪ねた。

小峰さんは福岡県博多の生まれである。
東京、大阪、再び東京と転校を重ねながらも、楽しい少年時代を過ごす。
ところが、中学生時代に大きな不幸が襲う。母親を亡くしてしまうのだ。
それが生きることを考える大きなきっかけになった、と小峰さんはいう。自立して生きることを意識しはじめ、高校受験に向けて猛勉強。名門、都立駒場高校に進学する。

高校卒業後は、漫画の専門学校で一年間、技術の研鑽を積み、同時に経営を学ぶ。そして自身の将来を模索しながら川越市を拠点に国際交流や地域活動に取り組んでいた頃、北海道下川町でエミューとともに暮らす今井宏さんの存在を知る。

今井さんはアメリカのモンタナ州立大学農学部に留学中にエミュー出会い、1996年に同大学を卒業して、そのままエミューを連れて下川町一の橋へ移住する。国内では当時初めての畜産エミューの飼育を開始し、同大学在学中に学んだ「ホリスティック論」の実践の場として牧場空間を創る。

小峰さんはそんな今井さんの生き方や考え方に共鳴。
1998年、単身下川に向かう。

「地域の人々がお互いに助け合って暮らしていければ、育児教育、介護、福祉…すべてが暮らしの中の世代交流を通じて自然に成り立つはず。そこには持続可能な暮らしがある。
大きな社会では難しいけど豊かな環境の中にある小さな集落であるこの一の橋ならばそれは可能。そして地域社会を再建するためには、その核となる地に根付いた産業が必要だ−」


目指すのは地域規模の自給自足できる社会。
今井さんが取り組んでいたエミュー牧場は、その核になると小峰さんは考える。

さっそく活動を開始、エミューを通じた交流を図るエミュークラブを発足させたり、肉や卵、羽を商品化したり、地域通貨を活用したり、モンゴルの人々と交流を図ったり、新しい仲間が加わったり、また旅立って行ったり…。
2001年には小峰さんの弟、雅典さんも一の橋にやってくる。


一の橋がどのように変化していったのか、それは現在7巻まで発行されている漫画「エミュー牧場物語」(コミ小峰出版、650円)に詳しい。これはタイムリーな一の橋の記録であり、また生きることの意味を考えさせられる。
▲1989年に廃線となった名寄本線の一ノ橋駅跡が、現在バス停留所となっている。駅の後方にある「夫婦松」は1920年、開駅記念に植樹されたイチイの木

▲一の橋の歴史を見守ってきた一ノ橋神社。小峰さんによると、1921年に岐阜県からの入植者により建立された県社で、祭神は相馬天皇(師常)と天之御中主之神とのこと

▲エミュー牧場に隣接する「ふじ桜公園・遊牧村」。地域の人が汗を流してつくった広場。ここはキャンプやイベントに利用できる。また、モンゴルの移動型テント「ゲル」のレンタルも可能だ

▲エミュー牧場を核にコミュニティの再生を図る小峰博之さん。自身のサイトやブログを通じ、日々の活動を発信している

ちなみに、コミ小峰出版とは小峰さん自身の執筆・出版マネージメント部門。
それにしても、漫画家としての夢も自身の力で叶えているにだからすごい。

そのエミュー牧場は、国道から一本、南側に入った道路沿いにある。
エミューはオーストラリア原産のダチョウより一回り小さい、飛べない鳥である。
実際面と向かうと、これは鳥…か?と思ってしまうほど実に不思議な生き物だ。眼光鋭いオレンジの眼、鮮やかなブルーの喉元、マーブル色の豊かな羽毛。足だけ見ると小さな恐竜。太い三本の指が力強く土塊を捉えている。

ここで飼育されているエミューは20頭ほど。
それでも最近は、大分減らしたという。
エミューを飼育して、それで生計を立てているのかと早合点していたが、話を伺うとそうではなく、むしろその逆だった。

「エミューは飯の種にはならない。むしろ生活のパートナー、エミューがいることで人が集まってくる。もともと農業をやらなかったのは、その作業だけで追われてしまうから。自分はもっと人のつながりを大事にしたかったし、一の橋にいる時間をできるだけ長くとりたかった。エミューは生活とつながりを両立させるための方法です」

もちろん時に肉や卵を販売して臨時収入を得ることはできる。しかし実際は、小峰さんが町で働き得る現金収入の多くはエミューの飼育費に充てねばならず、実のところエミューがいない方が生活は楽になるという。

「あんまり利益的なことは考えてない。ただエミューを飼えるだけは働かなくちゃいけないなぁ・・・」

エミューがいることで地域や人との輪ができる。エミューは生活の、地域共同体の一部なのである。一の橋に根を張り、小峰さんはエミューを飼い、苦労を買いながら理想の暮らしを少しずつカタチにしていく。

「下川に来て思ったのは、子どもたちが普段の生活のなかで学ぶことっていうのは、学校で学ぶことよりずっと大事だということ。小さい子どもは大人が思うよりずっと積極的だし、自分から働きたがる。好奇心が旺盛でなんでも自分たちでやってみたい。だからそういうときにいろんなことを教えて経験させなかったら、何も知らずに育ってしまう。子どもたちが小さい頃から自然と働き、自分の力で生活することを学ぶ環境っていうのがすごく大切だと思う」

とはいうものの、子どもの声が消えてしまった一の橋。これから人口が増えることは期待できない。いったい一の橋はこれからどのような地域になっていくのだろうか。

「小学校もなくなってしまったし、10年も経てば一の橋には人がいなくなるかもしれない。ただ、自分は集落がなくなることにそれほど危機感を感じない。少なくとも自分はここにいるし…逆に自然が増えてもっとよくなるかもしれない」

今、一の橋のお年寄りが一の橋にフジザクラの苗木を植えはじめた。
自分たちで草を刈り、整地して、木を植え、そして公園をつくった。もちろんボランティアである。

「…だけどここに人がいた。その足跡だけは残したい。地域のお年寄りは生きる証を残したがっている。その想いを自分は引き継ぎたい。住んでいる人はいなくなるかもしれないけれど、訪れる人がいなくなるとは思わない。むしろ増えていくだろうと思う。10年、20年と経てば木も育つし、環境的に賑やかになる。花見にきたり、自然を楽しみにきたり・・・」

「…例えば想いとか培ってきた精神とか目に見えない。でも心の精神とか、自分の想いはきっと人に伝わって、それがまた誰かに伝わって残っていくものだと思う。それは自分が死んでも永遠に続いていく。モノはなくなったらそれっきりでしょう」

確かに言えることはこの間、小峰さんが仲間とともに流した汗は確実に一の橋の大地に浸みこみ、そこから新しい芽が生まれているということ。

例えるなら小峰さんは、一の橋に根を下ろした一本の木である。
枝を伸ばし、葉を茂らせた、その木陰にはたくさんの鳥が集う。

ここでは都会の人であろうと、子どもであろうと共に汗を流し作業をして、苦労を分かちあっている。そこに本当の絆が生まれ、仲間ができる。

「自分は家族のような地域生活がしたい…地域は家族だと思っている」

仲間こそ家族。
今、一の橋には家族が集まる場所がある。


(2006年8月記)


エミュー牧場公式サイト(「エミュー牧場物語」も購入できます!)

もっと北の国からのCOMYUニンニン日記(小峰さんのブログ)


▲一の橋の住人、小田原喜代吉さんは富士桜の保存と緑化を兼ねて、草を刈り、木を植えてボランティアで公園をつくっている

▲アースデ−イベントとして、稚内から東京まで徒歩で植樹を続ける中渓宏一さんのグループが、この日遊牧村でクルミの木を植えた。小峰さんのもとには、自然と同じ想いの人たちが集い、そして何かが生まれる

▲一の橋での活動を記録した「エミュー牧場物語」。交流すること、触れ合うことで人の心が動き、地域が変わる

 ■エミュー遊牧村(下川エミュー研究会)
住 所 北海道上川郡下川町一の橋353 
電 話 (01655)6−2303
FAX (01655)6−2304
備 考 エミュー牧場での飼育作業体験、遊牧村でのキャンプや交流、イベントなどができます。また小峰さん宅はB&B(ベットアンドブレックファースト)の提供もしています。詳細は上記へお問い合わせを。





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