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▼まちにラリーがやってきた、栄えあるWRC開催の地 [陸別町]
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9月。
立ち上る土埃、腹底にまで響くエンジン音に、十勝がもっとも賑やかになる3日間がある。
陸別町を中心とした十勝の大地が、世界ラリー選手権(WRC)の舞台になるのである。
F1と並びモータスポーツ界の頂点を決する大会、それがWRCだ。
ラリー競技の構図は、世界ラリー選手権(WRC)をトップステージとして、その下に「ヨーロッパ」「アフリカ」「中東」「アジア・パシフィック」の4つの地域選手権、さらにその下に各国の国内選手権が存在している。日本では2002年にアジア・パシフィックラリー選手権(APRC)がこの十勝地方で初開催、2004年からはWRCが開催されている。
ラリー界の世界王者を決する大会が、いったいなぜこの十勝の、この陸別町で開催されているのだろうか。
陸別町には一周1.3kmの町営オフロードサーキットがある。
土曜日の昼下がり。誰もいない空っぽのコースを丘の上から眺めていると、背後で轟音とともにメリメリと木が引き剥がされる音がする。振り返るとコースにはみ出した白樺の枝を、重機を巧みに操って枝打ちしている人がいる。
それが浜田始さん-WRCを陸別に呼んだ男だった。
浜田さんは浜田旅館のご主人。
高校卒業後、1年半ほど酪農に携わっていたが、父親が急逝したことから旅館を引き継ぎ30年ほどになる。オフロードレース取り組み始めたのは、旅館業に専念しはじめたちょうどその頃。
「5月に開催しているオフロードバトルは今年で25回目。だけどカウントする前に2回やっているから27回目だな」
その歴史は四半世紀を遡る。
最初は町内の牧場を開放して行っていた小さなレースだった。
しかし年を追うごとに、小さな町の小さな取り組みは広がりをみせ、1986年に町がサーキットを整備。官民一体となったオフロードレースへの取り組みはますます熱を帯びてくる。
当時はオフロードに理解ある地域も少なく、全国各地の選手が陸別に集まった。浜田さんはそうした選手や関係者を陰になり、時に日向となって支え続けた。
WRC誘致の話が浜田さんの耳に入ったのは1998年。
この年、「北海道でWRCを」という夢を温め続けていた企画会社、株式会社プランニング.フォーが働きかけ、陸別町を中心に十勝管内の林道の調査を行う。協力を要請された浜田さんはその夢に同調。以降、彼らと行動をともにし、また率先して関係者の説得にあたる。
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| ▲町がひとつ、十勝がひとつになって盛り上がるWRC(写真提供:ラリー・ジャパン事務局) |
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しかし、WRCを誘致するためには、まず国際格式のレースを成功させること。その実績づくりが必要だった。
十勝の大地が世界的なコースになり得るのか-。
しかし、調査の結果はいい意味で予想を裏切った。
陸別町内においては、一度も舗装路をまたぐことなく一筆書きで走れる林道が確保できるなど、十勝はすばらしい資源を秘めていることが明らかになる。
また実際の運営体制を学ぶため、コースの外の状況を把握するため、翌年4月に総勢22名でWRCニュージーランド戦を視察。コースや運営体制はもちろん、地域としての受け入れ体制、心構えなどを学び、必要なノウハウを取得していく。
「オーストラリアでは自分たちでレンタカーを借りて、コースの外の町の様子、地域への影響なんかも実際に歩いて記録した。たとえばラリー用の標識を見て、自分なりに『これはこういう意味だろう』と思ったことを述べて、ビデオに記録し続けた。あとで確認したら概ね当たっていたが、それはこれまでの取り組みの賜物だと思う」
はじめた当初は町内有志のオフロードレース、先の見えない階段だった。
だが、これまで一歩ずつ確実に登ってきたからこそ、最後の扉に到達できたのだ。
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翌2000年はWRC誘致陸別準備会(尾崎光弘会長)を結成、そして迎えた2001年の春。
その日、陸別町に十勝管内のラリー関係者、新聞社、企画会社、行政関係者が一同に会し、今秋予定される国際格式ラリーの受け入れに関する協議が行われた。様々な不安と期待が入り混じった会議室の空気に浜田さんが切り出す。
「これだけのものが来ようとしているんだ。俺はやりたい」
この瞬間から、「北海道でWRCを」というひとつの夢に向って、官民が一体となった大きな歯車が音を立てて回りはじめる。
この年、9月。
ついに初の国際格式「インターナショナルラリー・イン・北海道」が開催される。
翌2002年にはそれが日本初のアジア・パシフィック・ラリー選手権(APRC)「ラリー北海道」に発展。
そして2003年10月。
フランスで開かれたFIA総会で翌年のWRC日本開催が決定される。
そして2004年。
WRCが陸別町にやってきた。
1979年のオフロードバトルからちょうど25年の節目の年にあたる。
この年のWRC(9月2日~5日)は国内外から延べ25万人もの人が訪れた。
WRC開催に向け、関係各方面を奔走し協力を要請する浜田さんが、行く先々で出会ったのは、陸別サーキットから巣立っていったかつての少年たちだった。
「俺ははじめて会うつもりで行くんだけど、相手はみんな俺のことを知っている。みんな陸別のサーキットで走っているから。みんなここに繋がる、そしてみんな戻ってくる」
浜田さんは、そんな仲間たちに囲まれながら、現在ラリー・ジャパン支援歓迎実行委員会運営委員長を務める。
「だから自分のなかで何が財産かというと、ひと。半端でない数の人を知ってると思うよ。その人たちが、いつかはまた陸別に-、ってなってくれるのを密かに願っている。そのために莫大な数の種を蒔いてるんだ」
なぜこれほど熱心に情熱を傾けられるのか、それは話を聞いているうちに理解できた。
ラリーが好きだから、ではない、人が好きだから、なのだと。
2006年のラリー・ジャパンは8月31日から9月3日にかけて、ここ十勝で開催される。
(2006年6月記)

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| ▲通算27回目を数える陸別のオフロードレースのポスター |
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| ▲数々の名勝負、名場面を演出してきた陸別サーキット。オープンから20年を迎えた |
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| ▲浜田さんを慕って、全国から人が集まる「浜田旅館」 |

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■旅先の我が家 浜田旅館
| 住所 |
北海道足寄郡陸別町大通り |
| 電話 |
(0156)27-3175
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| FAX |
(0156)27-3174
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| 料金 |
1泊2食 5,700円(夏)/6,200円(冬)
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| その他 |
旅の宿「オーロラハウス」宿泊予約も受付しています
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