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▼大地に刻まれた歴史と文化のタイムカプセル、羅臼町郷土資料室 [羅臼町]


体育館に併設された、というより飲み込まれそうな部屋が、羅臼町郷土資料室だった。
入ってびっくり、宙をクジラが舞っている。

「・・・昨年2月にこの羅臼の相泊で、11頭のシャチが流氷に閉じ込められて漂着したんです。結局、残念ながら9頭が死んでしまったんですけど…。ここには海に関する展示がなかったこともあって、それを機会にシャチの模型をつくってみました」

説明してくれた涌谷周一さんは標茶町の出身。昭和51年に教育委員会に採用され、考古学の専門家として羅臼町にやってきた。根室管内で最初の学芸員として着任している。

「このあたりで記録された種類は緑色のマークがついてます。マッコウクジラ、シャチ、ミンククジラ、アカボウ、オウギハ、ツチクジラ、カマイルカ…とくにここではミンククジラがよく見られますね」

空飛ぶクジラは発泡スチロールの心材を普段、遺跡から出土した木製品の復元などに使用しているエポキシ樹脂で覆ったもので、丁寧に色づけしてある。

最初はシャチの群れをつくるつもりが、それなら根室海峡で確認されるクジラ類数種を、と路線を変更、現在は国内で見られるクジラ38種+3種が揃っている。同スケールなので、大きさの比較もしやすいし、これだけのクジラが集まったパレードはなかなか壮観である。

いきなりのクジラの模型に驚かされるものの、この資料館はオホーツク文化、そののちに発展したトビニタイ文化の資料が充実していることで知られる。

「アジアのバイキング」とも呼ばれるオホーツク文化の人々。
国内で初めて発見された炭化木製品を含め、考古学あるいは民族、工芸の見地からも一級の資料が展示されている。

「この右端の土器は擦文式土器といいます。これは人種的にはもともとアイヌの人たちが1000年ほど前に使っていたものです。ところが、この左端の土器はまったく文様が違いますね、貼り付けた文様です。オホーツク式土器といいます。国内ではオホーツク沿岸でしか出土しないものです。利尻・礼文・稚内・網走・知床半島・根室半島で確認されています。よく考えて見ますと、流氷の分布とまったく重なるのです」

「…オホーツク文化の人たちというのは海岸から100mほどのところまでしか行きません。砂丘状のところにせいぜい10軒程度の小規模な集落を形成します。しかし住居の形態は巨大です。この人たちはほとんどを海に頼っており、クジラ、トド、アザラシ、魚類などを小さな丸木舟、あるいはシーカヤックのようなもので獲っていたと思われます。そのような小さな船でクジラのようなものを獲るとなると非常に危険なわけです。乗っている人同士が意思の疎通が出来ないとクジラなんか獲れない。だから大きな住居に何世帯もが暮らして、住居自体が団地のような役割をしていたのではないか、と考えられます」

「・・・これが11世紀後半から12世紀になってくると、知床半島近辺にこのような奇妙な土器が発生します。この近辺でしか見られないものです。よく見ると形状はこちらの擦文式土器に、基本的な文様はオホーツク式土器に似ています。2つの土器の混血です。なぜこのような土器が生まれたのか−」

擦文文化、オホーツク文化。
その後、元朝の成立によって生じたトビニタイ文化、そしてアイヌ文化。

▲学芸員であり、公民館長でもある涌谷周一さんに、空とぶクジラの説明をしていただく。これは見事な出来栄えで一見の価値ありだ


▲「この先行き止まり」の看板が示すとおり、ここ相泊集落で道は途絶える。ロープが張ってあり(下)、ここから先へは徒歩か船でしか進めない

土が育ちにくい環境のため、羅臼では8000年前の竪穴式住居跡も比較的容易に見ることができる。
知床半島は当時から多くの人が行き交う文化の交差点でもあった。出土する土器や遺跡は現代に託されたタイムカプセル。涌谷さんは一片の土器のカケラからその謎を推理する。
この郷土資料館が所蔵する史料の一部は、現在、企画展「発掘された日本列島2006」展示史料として出品されており、今夏、東京江戸博物館等で見ることができる。

普段は研究活動に専念している涌谷さんだが、実はもうひとつ別の顔をもつ。

1981年からはじまった「ふるさと少年探検隊」というユニークな活動がある。

通称「知床探検隊」は今年で24回を数える。参加するのは地元、羅臼町の小中学生。
探検隊は2班に別れ、ワンパク隊は半島途中のモイレウシまで、チャレンジ隊は岬の先端までを徒歩で進む。時に潮を被りつつ、時にザイルで岩を攀じ登り、小さな冒険者は道なき道を歩くのだ。

涌谷さんはその隊長として第1回から参加。昨年まで探検隊を率いてきた。
これまで岬まで歩いた回数は30回以上。これはおそらく日本一、だから世界で誰より岬を知る人物といっていいだろう。

「きっかけは羅臼の子どもたちに野外体験をさせたいなと。今の役場の工藤勝利民生部長が、子どもたちに夕日を見せてあげたい、と。この町は朝日は見れても夕日が見られないから。それなら羅臼岳に登れば稜線から見れるじゃないかと。でも、1600mの羅臼岳を子どもたちのサポートしながら登るってのは厳しいわけ。まして羅臼側からだとね。そこで俺がちょっと待て、夕日なら岬からも見られるぞと。ただ羅臼岳より大変かもしれないと思ったね。当時は船を使わなかったから」

岬までは道があるわけではない。
海岸沿いを時に潮が引くのを待ち、時にザイルで岩を登攀し、大人でも早くて1泊2日、普通2泊3日はかかる。その距離およそ25km。

「昔は1泊2日で岬まで行ったこともあったけど、今は子どもたちも2泊3日で行く。モイレウシで1泊、念仏岩で1泊。それで岬までだね。やっぱり念仏岩とカブト岩で時間がかかる。ザイルを使うと、ひとり10分かけて10人いたら100分。その間みんな待たなきゃならないし、そこだけで2時間かかっちゃう。俺たちだけだったら3分もかからないけど、そうはいかない。やっぱり安全を期すればこそ」

「…ただ、子どもたちには厳しい経験を積ませたいと思ってた。僕は冬山ってこの羅臼に来てから覚えただけど、やっぱり苦しいよね。だけど1回でも苦しいことを経験すると、例えば厳冬の羅臼岳を登ってみると、自分は絶対ここまでは行けるんだ、っていう自信になるんだね」

毎年20人から30人の子どもが参加するが、大人20人以上のサポートがつくため、ほぼマンツーマンで対応できる。しかしゴールまでの道は過酷だ。途中ギブアップしそうになる子もいれば、泣き出す子もいるという。

「だけど毎年、参加する子もいる。6回参加した女の子は、高校に進学しても今度はサポート隊として加わっているし。5年くらい前に第1回知床探検隊参加メンバーの子どもが参加したんだ。いや嬉しかったよ、やっぱり」

探検隊二世が誕生−。
ひとつの時代が終わり、また新しい世代に引き継がれるのだ。

「今年で俺も54才だから、いつまでもやってると後が育たないしさ。実際俺が行かなくてもできることはわかってたし。そりゃ、俺も行った方が気持ちの上では楽だよ。あいつら今頃なにやってるべかって気を揉まなくて済むから(笑)」

3回に1回は熊に遭遇するという探検隊。

今年も子どもたちは自らの力で乗り越えた岩壁のその先に、きっと新しい発見と感動をみつけるだろう。

(2006年7月記)

※オホーツク文化(6世紀〜13世紀):
サハリン南部・北海道および南千島のオホーツク海沿岸に栄えた漁猟を生産の基礎とした人々の文化。本州では朝廷文化が花開く6〜7世紀頃、アムール川流域よりサハリン・宗谷海峡を経由して北海道に進み、その後沿岸沿いに南下を続け根室半島にまで達し、12世紀頃には当時北海道全域に広がっていた擦文文化に融合、吸収されていく。彼らは大陸から鉄を持ち込み、銛や鏃等大量の骨角器を作っていた。漁業は大型の石錘が出土すること等から、かなり大掛かりな作業をしていたことが推測される。また、トド、アザラシ等の海獣猟やさらには多数の人が乗り組んで捕鯨をしていたことも彼らの残した彫刻等からわかっている。ヒグマを猟の対象とし、「熊送り」の儀礼をもち、独特の熊崇拝信仰を有していたようである。彼らの残した土器はそれまでの道内の土器とは系統的につながらない独特のもので古くは櫛目文や刻目文を、新しくなるとソーメン文と呼ばれる文様が器面を飾った。住居は海岸の砂丘状の地形に一辺10mを越えるような五角形の大型の竪穴式住居を構え、一軒の家に多人数が住み込んで数件単位で集落をつくっていた。彼らの居住する地域は流氷の分布とほぼ同じであることから「アジアのバイキング」とも呼ばれている。羅臼町内では、松法川北岸遺跡、オタフク岩洞窟等から多数の木製品や骨角器が出土している。(羅臼郷土資料室資料より)

▲壁のように立ちはだかる緑の山脈の下を探検隊は歩くのだ。写真左側に男滝、右側に女滝が見える

▲知床岬の先端部。奥に見えるのは知床岬灯台だ

▲夏はコンブ漁のため多くの漁師が番屋で暮らす。ゴロタ石の前浜にコンブを並べる風景は夏の風物詩

▲四半世紀を迎える知床探検隊。次の世代へ、次の四半世紀へこの自然の厳しさ、素晴らしさを伝えていきたい

■羅臼町郷土資料室
住所 北海道目梨郡羅臼町栄町102番地
電話 (0153)87-2004
営業時間 10:00〜17:00
定休日 土日、祝祭日、年末年始
料金 無料

▼羅臼町役場公式サイトはコチラ





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 ▼湊 謙一さん  NPO法人しれとこラ・ウシ理事長/羅臼の宿まるみ代表取締役 [羅臼町]



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