日高町(ひだかちょう):14,729人(△6.7%) |
平成18年3月1日に日高町と門別町が合併し、日高町になりました。
日高エリアの西部に位置し、日高町のある北東から門別町のある南西に流れる沙流川の源流から下流にかけて構成されています。北東部は北海道の屋根といわれる日高山脈がそびえ、周囲を大小の山岳が取り巻いています。また、南西部はなだらかな地形をなしており、沙流川、門別川、波恵川、慶能舞川、賀張川、厚別川が太平洋にそそいでいます。
日高町の北側に位置する日高地区は、北海道の内陸気候圏に属しているため寒暖の差が大きく、冬期には1m前後の積雪が見られます。また、南側に位置する門別地区は、太平洋に面した海洋性気候のため、積雪も少なく比較的温暖な気候にとなっており、海岸沿いには、なだらかな起伏が続く地勢を呈しています。町域は、間に平取町を挟んだ飛び地になっており、2町の役場間の距離は約65kmで、車で約1時間の行程となります。
門別地区は稲作、畑作、酪農、馬産、漁業などが主産業。漁業ではシシャモの養殖を行っており、日高地区は畑作、林業などが主産業です。
1919年 沙流郡幌去村(ほろさる、現平取町)から分村、沙流郡右左府村(うさっぷ)。
1923年 二級町村制。
1943年 日高村に改称。
1962年 町制施行、日高町。
2006年3月1日 沙流郡門別町と廃置分合(合体)。
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平取町(びらとりちょう):6,174人(△5.1%) |
平取町は日高支庁管内の西端に位置し、総面積743.16ku、東西52.8km南北41.1kmとやや三角形に似たまちです。周辺市町村へは国道237号を利用して門別町へ約20分、日高町、静内町へ約1時間、苫小牧市へ約1時間10分、札幌市へは、約2時間、また新千歳空港までは約1時間15分です。
日高地方のアイヌ文化発祥の地としても知られており、町名平取はアイヌ語「ピラウトル」(ガケの間にある所)に由来します。明治13年門別ほか17村戸長役場の管轄に属し、同32年これから分離して平取ほか8村戸長役場を設置。大正8年9村のうち,幌去村の一部を右左府村戸長役場(現日高町)として分離。同12年4月平取ほか8村戸長役場の区域をもって二級町村制施行、村名を平取村としました。昭和29年11月から町制施行されています。
1899年 門別ほか17村戸長役場から平取外8村戸長役場として独立。
1919年 右左府村戸長役場(現在の日高町)を分離。
1923年 二級町村制を施行、村名を平取村とする。
1954年 町制施行。
1997年 二風谷ダム完成。
2003年8月9日 台風10号来襲、10戸が冠水の被害を受ける。
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新冠町(にいかっぷちょう):6,034人(△2.7%) |
日高地方のほぼ中央部に位置しており、東西45km、南北44km、海岸線13km、海岸からの奥行きは55km、面積は585.88kuです。北東部は山岳地帯、南西部は太平洋に面しています。面積の77%を森林が占め、農地は10%ほどです。町名の由来は、アイヌ語の「ニカプ」(ニレの木の皮)から。
レコードと音楽による街づくりを進めていて、町内にある「新冠レ・コード館」には、60万枚を超えるレコードが所蔵されています。基幹産業は稲作、畑作、酪農、畜産など。
日高軽種馬共同育成公社が置かれ、馬の育成も盛んです。ハイセイコー、ナリタブライアンなどの競走馬を輩出しています。
1881年 新冠郡高江村外10ケ村戸長役場が設置される。
1923年 新冠郡高江村、大狩部村(おおかりべ)、葉朽村(はくち)、受乞村(うけこい)、元神部村(もとかんべ)、比宇村(ひう)、泊津村(はくつ)、去童村(さるわらんべ)、姉去村(あねさる)、万揃村(まんそろえ)、滑若村(なめわか)を合併、新冠郡高江村。即日改称、二級町村制、新冠郡新冠村。
1961年 町制施行、新冠町。
1981年 新冠町開町100年。
2001年 開町120年。
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新ひだか町:49,730人(△4.1%) |
平成18年3月31日、旧静内町と旧三石町とが合併し、新ひだか町になりまし た。
支庁所在地は浦河町ですが、日高支庁管内では最も人口が多く、大きな商店も存在するため、日高エリアの中心都市的役割を果たしています。
町内には牧場が多数所在しており、テスコボーイ、トウショウボーイ、ウイニングチケットなど多くの競走馬を輩出しています。
地形は静内川、有良川、捫別川、布辻川、三石川、鳧舞川の流域地帯を除くとほとんど丘陵地帯となっており、人口は下流部や太平洋岸沿いに集中しています。日高山脈を源とした河川は、わがまちを北から南に横断し、耕地を潤し太平洋に注いでいます。流域は地味肥沃でこれまでの農業開発の要となってきました。
東部には、アルピニストの憧れの的である秀峰ペテカリ岳をはじめとする日高山脈を望み、南部には雄大な太平洋、丘陵、川など豊かな自然に恵まれた環境の中にあります。
また、太平洋に面しており、海洋性気候に属していることから、道内でも比較的温暖な地方です。冬の降雪量は少なく、寒いときでも月平均−5度くらい、夏の暑いときでも月平均22度くらいで、年間平均気温は7.9度となっています。
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浦河町は、北海道日高支庁管内の南部に位置し、札幌市から約180km、帯広市から約150km、えりも岬から50km地点にあり、東は様似町、西は三石町、北は日高山脈、南は太平洋に接しています。町名の由来は、アイヌ語の「ウララペツ」(霧の深い川の意)から。
町の地形は、大部分を日高山脈とその前山が占めており、丘陵地を縦断して太平洋に注ぐ河川流域にいくつかの平野がみられ、地質は、河川流域を除き火山灰と泥岩、重粘土などの特殊土壌が、耕地面積の多くを占めています。
山岳は、神威岳(標高1,600m)、楽古岳(標高1,472m)などがあり日高山脈襟裳国定公園の一角を占めています。町の総面積は、694.24kuでその81%を山林が占めています。海洋性気候の影響で夏は涼しく、冬は温暖なため「北海道の湘南地方」とも呼ばれ、豊かで住みよい自然環境に恵まれています。
町内には約300の牧場(生産・育成)があり、4,000頭以上のサラブレッドが駆け回っています。豊かな太平洋がもたらす海洋資源は豊富で、なかでも良質のダシ昆布「日高昆布」やサケ・マス、夏から秋にかけてのスルメイカは特産品となっています。
1880年 浦河外19ヶ村戸長役場が設置される。
1882年 浦河外19ヶ村戸長役場から浦河外10ヶ村戸長役場に改称する。
1883年 浦河外10ヶ村戸長役場が2つの役場(井寒台村外6ヶ村役場と後邊戸村外3ヶ村役場)に分割される。
1884年 2つの役場(井寒台村外6ヶ村役場と後邊戸村外3ヶ村役場)が廃止され、浦河郡役所の直轄となる。
1897年 浦河郡役所が廃止され、浦河支庁(現在の日高支庁)の直轄となる。
1900年 再び浦河外10ヶ村戸長役場が設置される。
1902年 二級町村制を施行し、浦河町(浦河村、後鞆村(しろいずみ)、向別村(むこうべつ)、井寒台村(いかんだい)の4村が合併し、浦河村となるが、即日町制で浦河町となる)、西舎村、杵臼村、荻伏村の浦河町外3ヶ村組合役場となる。
1910年 荻伏村が分離・独立したため、浦河町外3ヶ村組合役場から浦河町外2ヶ村組合役場となる。
1915年 浦河町、西舎村(にしちゃ)、杵臼村(きねうす)の3町村が合併し、一級町村制の浦河町となる。
1956年 浦河郡荻伏村(おぎふし)を編入。
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背面にアポイ岳と日高山脈、前面に紺碧に輝く太平洋をたたえる様似町。穏やかな海洋性の気候と豊かな大地の広がりのなかで、水産業・農畜産業が主産業です。様似町名の由来はアイヌ語の「サンマウニ」(朽ち木のある所の意)に由来すると言われています。江戸時代(1600年頃)に砂金採取のために集落が作られたのが様似町の始まりと伝えられます。
1802年 蝦夷奉公の管下となる(様似町の開基)
1880年 戸長役場が設置される。
1906年 様似郡様似村、鵜苫村、冬島村(ふゆしま)、幌満村(ほろまん)、岡田村、二七村(になな)、誓内村(ちかない)、平鵜村(ひらう)が合併、二級町村制、様似郡様似村。
1952年 町制施行。
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えりも町:5,796人(△7.2%) |
えりも町は、北海道の東南端に位置し、豊かな水産資源と雄大な自然景観に恵まれた漁業と観光のまちです。「風極の地」と呼ばれる日本屈指の強風地帯でもあります。最も風の強い襟裳岬では、風速10mを超える日が年間290日以上あります。
コンブ、サケ、ウニなど豊富な魚介類の水揚げは、地域経済の主力を成しています。また、全国的に知られている「襟裳岬」や断崖絶壁の海岸が続く「黄金道路」など数多くの景勝地を有し、年間30万人以上の観光客が訪れています。
まちの歴史は古く、今から300年以上も前から松前藩の昆布場所として拓かれ、明治13年に戸長役場が置かれて行政の基礎ができました。
町名の由来はアイヌ語で「エンルム」。突き出た頭の意味です。これが転訛して「エリモ」になったと考えられています。
1669年 松前藩の藩士、蛎崎蔵人が商場を置く。その後昆布の漁場として栄える。
1880年 戸長役場が設置される。
1889年 襟裳岬灯台が点灯。
1906年 戸長役場を廃止し、二級町村制が施行され、幌泉村役場を設置する(村名は幌泉村とする)。
1959年1月1日 町制施行(幌泉町となる)。
1970年10月1日 えりも町と改称する。
1980年 開基100年記念式典が行われる。
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